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有能な人物を集めたい!戦国武将・山内一豊から見る経営戦術は?

 

「どうしてうちは社員が定着しないのだろう?」

 

人手不足の昨今、優秀な社員の確保は多くの会社の大きな課題です。

この人ならばと採用しても、すぐに辞められてしまうこともしばしば。

 

こうならない為にと待遇を良くしても、効果がない。

打つ手ナシだと頭を抱えている経営者も多いのではないでしょうか?

 

しかし、本当に全ての手段を講じているかははなはだ疑問です。

他にももっと出来ることがありますよ。

 

今回は、戦国武将・山内一豊の逸話を交えて、

優秀な人材の確保についてお話していきます。

 

 

山内一豊とは?

 

戦国武将の山内一豊はご存じでしょうか?

10年ほど前の大河ドラマになったのを記憶しておられる方も多いと思います。

 

彼は元々織田信長の家臣で、本能寺の変の後は豊臣秀吉、

最終的には徳川家康に仕えた戦国武将です。

土佐藩(現・高知県)の初代藩主としても知られています。

 

藩主になるほどですから、さぞかし素晴らしい武功を上げたかのように思えますが、

実はそうではありません。

有名な「賤ヶ岳の七本槍」といった派手な武功はありません。

 

では、何が彼を一国一城の主に出世させたのでしょうか?

 

それは、彼を支える周囲の力です。

何といっても、妻の千代の尽力が大きかった。

 

千代とのエピソードは「馬ぞろえ」が有名です。

貧乏侍だった一豊に、駿馬「鏡栗毛」を持参金で購入したというものです。

いわば設備投資ですね。

 

このエピソードの重要な部分は、この話が表に出てきているという点です。

 

本来なら、家の中で完結する出来事です。

それが現代まで脈々と語り継がれている点が、

一豊を出世させた一番大きなポイントです。

 

 

「妻のおかげ」というアピール方法

 

千代が馬という設備投資を行ったことにより、一豊は織田信長の目に留まり

一気に出世街道を走り始めます。

この時、有頂天になって天狗にならなかったのが一豊の素晴らしいところです。

 

ことあるごとに千代が持参金で馬を買ってくれたことを、周囲に伝えます。

自分だけの力ではなく、支えてくれている人がいるとアピールしたのです。

 

これは日本人好みの謙虚な姿であると同時に、一豊自身が投資に値する人物であると

アピールすることにも一役買っています。

狙ってアピールしたのではないかも知れませんが、周囲に一豊を優秀な人物だと周知

するには良い方法です。

 

この「馬ぞろえ」のエピソードを語る良い点のもう一つに、「話を聞いてもらえそう

な主人」という印象を与えられる点も挙げられます。

 

戦国時代は男女平等という概念の乏しい時代です。

愛妻家は存在しましたが、妻をパートナーとして重用した夫は少ない。

そんな中、妻の提案を聞き入れた夫はとても珍しいのです。

 

このような人なら、自分の話も聞いてくれるのではないかと感じる人が増えて

当然です。

実際この後、一豊の元には多くの優秀な人材が集い、土佐藩の礎になっていきます。

 

家全体の為に働いてくれた人は、キチンと名前を残しています。

それが身分の低い人であろうと関係がありません。

 

経営は一人で行うものでなく、チームで行うものだと一豊は知っていたのです。

 

 

敵であろうと優秀な人材は登用

 

江戸幕府が本格的にスタートした慶長6年、一豊は土佐藩主になります。

新体制スタートですから移封が多く転居を伴うため、どこも人手不足の時代です。

 

この時、一豊は元々土佐を支配していた長曾我部氏の人材を登用しました。

土佐を知り尽くした人材を他に流出させるのは惜しいと考えたからです。

 

長曾我部氏の持つノウハウを今後も使うのなら、登用をするのが一番です。

彼らと話をし、一豊の描くビジョンに同意してくれる者には重要なポジションを

与えました。

 

これがあった為、長曾我部氏の反乱は大きなものに発展しませんでした。

民衆の混乱も最小限で済んでいます。

 

地元採用だけでなく、上方での採用も行っています。

慶長20年の大坂合戦後、豊臣方についた侍は失業状態で上方に留まっています。

ここにスカウトに向かったのです。

 

一豊は徳川方の武将ですから、豊臣方の侍は敵です。

それでも、優秀な人材を埋もれさせておくのはもったいないと、どんどん

登用しました。

 

もちろん、闇雲に採用はしません。

その人の持つ力を見極める力を持っていたからこそ、出来たことでしょう。

 

この力を言語化して家臣に伝え、一豊の望む人材を家臣が探してくる。

このシステムが出来上がっていたからこそ、多くの優秀な人材を集めることが

出来たのです。

 

 

一豊は「話」で「輪」を広げ「和」を生み出した

 

一豊は生涯を通し周囲との「和」を重んじ、これをもって山内家と土佐藩を

発展させていった人物です。

「和」を生み出す為に「話」を大切にしました。

 

「馬ぞろえ」のようなエピソードは「話」にし、周囲と共有することで「輪」を

広げていったのです。

 

一豊は口数の少ない普段は控え目な人物だといわれていますが、家族や家臣を

始めとする周囲には的確な言葉をかけていたそうです。

的確な言葉を伝えていると、受け取った相手は明確なビジョンを描きやすくなり、

行動に移しやすくなります。

 

とても働きやすい環境だった筈です。

歴史に残るような突出した家臣はいないものの、現在まで山内家は残っています。

 

あなたの会社はどうでしょうか?

あなた一人のスタンドプレイになってしまっていませんか?

 

もし、不安になったなら、私の声をかけてやってください。

あなたの「話」がどのような「輪」になり、「和」を生み出すか

見させていただきます。

 

「利」だけを考えていては、何も生み出せません。

400年以上続く山内家のような礎を築くには、「話」が必要になってきます。

 

あなたの会社もきっとそのような「話」がある筈ですよ。

一緒に見つけていきましょう。

 

 

最後まで読んでくださり有難うございました。

あなたの一日が素晴らしいものでありますように。

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